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はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
みなさん、こんばんわ。今日は「記憶に残っている、あの日」ということで。
全中スキーを優勝して、得られた経験を書こうと思います。
性格も内気で自分から喋るタイプでもない私がスキーを始めたのは小学校1年生。
本当に引っ込み思案でした。
それから6年後、中学校にあがった私はまたもやスキー部に入部。
忘れもしません。夢にまでみた全国大会の出場。当時、私はスキーのキャリアの中でもかなり調子の良い時期でした。
それでも、中学1年生の頃、奇跡的に全国大会には出場できましたが、結果は65位。。。
全国の壁は非常に高いことを痛感しました。
翌年の中学2年生になった時。
それからというものの、所属するチーム全体で日本一のチームを作ろうと一致団結して1年間練習に打ち込みました。
当時、コーチも一緒になって練習に参加していました。
そのコーチは私の恩師でもあります。そのコーチがよく言っていたことがあります。
それは、
『1人だけが勝てばいいんじゃない。みんなで強くなって日本一のチームになるんだ!』
本当に強いチームってこういうことですよね。誰かがダメでも、代わりの誰かがカバーしてくれる。これこそが、目指すべきチーム像ですよね。
まだ中学生のうちにこのような考え方を教えてくれた、恩師には感謝でしかありません。
個人スポーツのクロスカントリースキーだからこそ、きつい練習もみんなで励まし合って乗り切って、高みを目指す。
こういう考え方を知らず知らずのうちにできるようになっていたんです。
実際に、私たちはこの当時、日本一練習したと思います。だからこそ掴み取れた優勝だったと思います。あの記憶は忘れません。たとえ中学生のレベルでも、1番になれる人は1人だけです。例え、2位との差が0.2秒でも。
しかし、その一番になることよりも、もっと大切なことがあると今になって思います。
なぜ1番になれたのか、次も1番になるためにはどうすればいいのか。
そして、
支えてくれた仲間への感謝の気持ちを素直に伝え、みんなでレベルアップするためにどうするか、考え合う。そして行動する。
人間は一人では生きていけません。スキーも勉強も仕事も同じです。
仲間作りや頼れる存在、ライバル、自分を全部ぶつけられるように環境を自分で切り開く勇気。
こう言った生き方をスキー競技、全中から学びました。大学までスキーを続け、決していい成績を残せたわけでもない私が、ここまで生きて来ることができたのも全てがスキーをしていたからです。いろいろな人にも出会い、目指すべき姿、こんな人にはなりたくない等、自分の方向性みたいなこともある程度把握できるようになりました。
今でも大切にしたいこと、それは相手を思いやる全体最適の考え方。
一人勝ちでは意味がありません。みんなで一歩づつでもいいから前進する。それが積み重なると、気づいたら最強のチームが出来上がっています。
みなさんも一度訪れてみてください。長野県木島平村。
自然豊かで、移住者も多いです。私の地元はスーパーど田舎ですが、クロスカントリースキーのメッカです。日本中からトップスキーヤーが練習に来ます。世界大会も開いています。未来ある金の卵たちが今も必死にみんなで強くなろうとトレーニングしてます。
スキーだけではなく、お米、日本酒、温泉、パラグライダー、登山など北信州ならではのグルメ、遊びの場も用意されています。
小さな村ですが、世界に向けて大きな一歩を踏み出しているチャレンジングな地元。
だからこそ、私も自動車という全く知らない世界にチャレンジしようと思ったのかも知れません。
田舎魂炸裂です笑笑
みなさん、コロナが明けたらぜひ訪れてみてください。
きっと、忘れかけていた心の声が聞こえてくる。
そんな所です。
スキーと地元が私を変えてくれました。
最高の思い出をありがとう。
それでは!