走る歓びとは。
再開後、2回目の記事は人間にとっての『歓び』とは何かということを考えていこうと思う。
どこか哲学的なところを感じなくもないが、難しいことは考えなくて良い。
今回のテーマは実に単純である。
実は今日、広島県広島市の武田山でトレイルランニングをしてきた。現役スキー選手時代は本当に毎週のように山に走りに行き、自然との一体感を当たり前のように感じていた。しかし、社会人生活が始まり2ヶ月が過ぎたが、この自然との一体感を味わうことが途端に減ってしまったのである。
久しぶりの山はやはり楽しかった。
山を走る時は無になれる。自由なのだ。その自由のフィールドは山という自然そのものが包み込み、自分が人間で生き物であることを強く実感する。
走っている最中、楽しさと自分が自由であるという実感から言葉にならない喜びの声が出てくるのである。
(側から見れば、一人で「うおー!」「さいこーーう!!」と叫びながら山を登っている変人にしか見えないのだが笑)
私にとっての歓びとは、まさにこのトレランやスキーをしている時の
「自然に溶け込んで自由になれる」
ということ。
皆さんは、こんな歓びを感じたことがあるだろうか。
私は幸い、スポーツを通じて本当にたくさん感じてきた。今となって、この歓びがこれほど貴重で自分が自分でいるための不可欠な感情、時間であることに気がついたのである。
実は、先日報告したロードスターの購入も、この歓びが大きく関係しているのだ。
では、そもそも「歓び」とは何なのか。「喜び」とは何が違うのだろうか。
一説によれば、「喜び」とは何か自分にとっていいことがあった時に嬉しくなる気持ち全般のことをいう。
一方で、「歓び」の方はというと、自分の内面から湧き上がる嬉しさや興奮の気持ちで声に出してしまうほどの高揚さを表す言葉である。
両者を比べてみれば実は『喜び』と『歓び』には、
・外発的要因による気持ちの良さ
・内発的な心から湧き出るような気持ちの昂り
と言うようにこれだけ意味に違いが出てくるのである。
私たちが生きていく中で、心の底から興奮し気分が昂る「歓び」を感じることができるシチュエーションはどんな時があるのだろうか。
例えば、重要な試合でトップでゴールに飛び込んだ時の高揚感、会場の歓声だったり、「初めて逆上がりができたときの達成感」などなど、生活の中で実は意外と味わっている感情ではないかと思う。
だが、この歓びという感情をここまで噛み砕いて意識できている人というのは少ないはずである。喜びは喜びだろと考えてしまうのも仕方ない。
例に挙げたように、歓びという感情は実生活の中で日常的に感じる事が少ない感情だからなのである。
こういった背景の中で、現代の大人は特にこの歓びを感じている人は少ないと感じる。
「歓び」を感じるためには、自分がどんなことで感動するのかであったり、私のように自分にとっての歓びが何なのか明確になっている必要があるのだ。
今回はここまでとしよう。歓びとは実は深いことばなのである。これを強調しておきたい。
次回へ続く。